『野生のベリージャム』より
ジョン・ミューア・トレイルを旅する小島聖さん
(写真:武藤彩)
舞台に映画にドラマに広く活躍されている女優・小島聖さんは、本格的なトレッキングや山登りなどの旅をすることでも知られています。その小島さんが旅と食について綴った初の著書『野生のベリージャム』刊行を記念して、SPBS本店でトークイベントを開催しました。
トークのお相手は、小島さんとは旧知の仲の料理人でeatrip主宰の野村友里さん。「人生とは食べる旅」だという野村さんと、「食」を通して「旅」のすばらしさを伝えたいという小島さんとのお話は、本の中から溢れ出る大自然の空気感や人生観とつながって、心地よい風が流れていました。
(進行:石田エリさん<同書編集者>)
文=SPBS編集部
旅に持っていった1冊のノート
──小島さんが本をつくりたいと思ったきっかけは、アメリカのジョン・ミューア・トレイル*を歩いたことでしたね。
*カリフォルニア州の、総延長340kmにわたるロングトレイルコース。ヨセミテ国立公園など、名だたる広大な国有公園をいくつも抜けていく。
小島:はい。普段私は舞台に立っているのに、生身の人間「小島」は本当に“伝える”ことがとても下手なんです。でも、340キロに及ぶアメリカの広大なジョン・ミューア・トレイルを、友人と20日間かけて歩いた経験が、あまりにも素晴らしくて、それをなんとか伝えたい、と思うようになりました。
──最初に「本をつくりたい」という話を聞いたときは、ジョン・ミューアのガイドブックをつくるということだったんです。ただ私は編集者として、女優さんがガイドブックをつくるということにピンときませんでした。でもこの旅の記録ノートを見せてもらって、道端の花を押し花にしていたり、何を食べたとか、持って行ったものとか、旅の日常がすごく細かく書かれているのを見たときに、「これは食にまつわるエッセイにしたらいいんじゃないかな」と思ったんです。
小島:石田さんにその提案をいただいたときに、ああ、私は本当に、食と歩くことが好きだから、それを軸に書けたらいいなと思って、今回のような形になりました。
ジョン・ミューアに持っていったこのノートは、出発の2日くらい前、友里ちゃんと一緒にごはんを食べたときに、いただいたプレゼントなんです。せっかくいいノートがあるから、ちゃんと何か書こうと思って。
野村さんが小島さんにプレゼントしたノート。
ここに書かれた料理の記録、旅のつれづれが、本につながった
野村:聖ちゃんは、しゃべるのが得意な方じゃないけれど、いつもよく本を読んだり、いろんなことを考えているな、という印象がありました。たまに会うと、一つひとつの言葉で会話しているというより、何かそこから感じることで会話しているんです。だからまた旅に出ると聞いたときに、聖ちゃんには書くことが合っていそうだなと思って、ノートを贈りました。
旅と食、変化の10年
──この本は第1章ネパールの旅から始まるんですが、ネパールの旅を始めたのは2007年くらいからですか?
小島:そうです。30歳のときに初めてネパールにいきました。それまでもいろんな旅をした中で、なぜかネパールが自分の中にすごくしっくりきて、もうちょっと先まで歩いてみたいなと思ってまた次の年にネパールに行って……って、何回も。
『野生のベリージャム』より(写真:野川かさね)
野村:私たちが知り合ったのもその頃で、かれこれ10年くらい経つんですけど、この時期の女性の10年って、いろんなことが起こりやすいから……。
小島:本当、起こりやすい(笑)!
野村:そんなに人生スムーズなはずがなくて、そういうときに、ふいに会いたくなったり、交わした言葉が刺さったり、お互いそんな積み重ねがいろいろあって。振り返るとすごくおもしろい10年でしたよね。
小島:そう。友里ちゃんは本当に不思議な人で、別にしょっちゅう会うわけでも、連絡をとるわけでもなく、でもいつも何かのタイミングを感じ取って、ふいに連絡をくれたりするんです。
野村:それにしても、この人、会おうと思ったって、なかなか日本にいないのよ。何かの節目に、みんなで集まりましょうと連絡をとると、「いま、目の前に川が流れています インド」とか(笑)。
小島:あぁ、そんなこと、あった(笑)。
野村:でもそうやって一人旅をして自分と向き合う時間を持てる人って、すごくすてきだなと思うんです。東京に住んでいたら、友達とかごはんとか、気を紛らわすことがいっぱいあるんだけど、聖ちゃんが行くのは、そういうきらびやかなところじゃないから。
ネパールに行った頃って、もうマクロビオテックやってた?
小島:行き始めて少しして、確か30代前半で私はマクロビオテックの勉強を始めて、一時期どっぷりはまって、お肉をやめて植物性のものだけを食べて生きていこうってストイックにしていたこともありました。でもいまはのんびり、学んだことを踏まえた上で、自分にいま何が必要かを考えて、柔軟にやっています。
──野村さんがシェパニーズ*に修行に行っていたのは同じ頃?
*カリフォルニアで、作家兼活動家のアリス・ウォーターズらが始めた、地元の有機食材のみを使用するレストラン
野村:2010年代かな。もうちょっと後ですね。
──小島さんの食の価値観の変遷には、旅が関係しているんですか?
小島:そうですね。ネパールって、経済的にはそんなに豊かではなくて、食事はほぼ3食、ダルバートという国民食なんです。家でとれた、限りあるものをありがたくいただくっていうもの。旅ではそういうシンプルな食事をしていたのに、東京に帰ってくると、紀伊國屋で買い物している自分がいたりして。なんだかそういうことに対して、自分がうまくバランスとれないなと思い始めたときに、マクロビを試してみたんです。でもそちらに行きすぎるとまたちょっと窮屈だし、じゃあ少し普通の食に戻ってみようとか、模索していたんですね。
その後ジョン・ミューアとか、アラスカに行くようになって、またちょっと変わり始めたんです。ジョン・ミューアは、トレイルの20日間、自分が背負える分しか荷物が持てないから、食事もすごくミニマムになるし、限られた中で何ができるかをとことん考えるんです。そういうときに意外とマクロビの知識が役立ったりしました。
ジョン・ミューア・トレイル〜20日間歩き通す旅と食事
──このジョン・ミューア・トレイルの20日間に及ぶ全行程が、この本の中で紹介されています。
小島:こんなに歩いて、アホですね(笑)。
『野生のベリージャム』より
ジョン・ミューア・トレイルではガスバーナー一つでできる料理が基本
(写真:武藤彩)
野村:私がいつも、聖ちゃんすごいなと思うのは、いろんなものに興味を持って、その興味を全部行動に移すところ。いい意味で欲求に対してスイッチオンができる人なんじゃないかな。ジョン・ミューアのときは、なんだかいつもの旅とはちょっと違いそうだな、という予感があって、帰ってきたときの顔をみて、あぁ、いい旅してきたなってすぐにわかったんです。表情が全然違って。
それにしてもまぁ、いい感じに日焼けしていて、女優さんなのに大丈夫なの? って(笑)。
小島:だって気持ちいいじゃない、太陽(笑)。
『野生のベリージャム』より
湖に飛び込む小島さん(写真:武藤彩)
野村:そんな旅を綴った『野生のベリージャム』、すごく読みやすかった。あまり書くのに苦労しなかったんじゃない?
小島:いやいや、もう本当に、言葉一つひとつ、伝えるのが難しくて大変でした!
野村:多分、聖ちゃんがずっとどこかで考えたり感じたりしていたことが、旅を通じて自然に言葉になって出てきた文章だから、すっと読めるんじゃないかな。
小島:結局自分の人生を書くみたいになってしまって、そこが気恥ずかしいというか……。
野村:だからすごく共感もするし、一緒に旅した気分にもなるし。何か自分の内面を旅しているみたいに、喜怒哀楽があるんですよね。感情が表に出てくるっていうことがすごく大事で、感情が解放されて、自分でそれに気づけたときに、すごくいいデトックスになったり、次へ向かうエネルギーになったりするんじゃないかな。
小島:あ、いますごくすてきなこと言ってくれた! そう、私、もともと内に溜めやすいんですよね。それが旅で大きな自然と出会ったことで、無意識のうちに「うわーっ」て感情を出せるようになって。それが生きる活力になったというか、旅で得たものの中で一番大きかったかもしれないな。
──本当に、この本は小島さんの心の中に飛び込んでいるような気分になるんですよ。心の声が全部素直に言葉になっている、とてもみずみずしい文章なんです。
小島:ありがとうございます。
旅の食材は軽くておいしいもの!
野村:この本の中に出てくるいろいろな旅の中でも、ジョン・ミューアが一番限られた食材だったと思うんですけど。
『野生のベリージャム』より(写真:武藤彩)
小島:そうですね。ネパールでトレッキングするときは、だいたい標高5,000mくらいまで人が住んでいて、宿泊する山小屋でつくってくれるものを食べるんですけど、ジョン・ミューアの場合は、基本的には自分たちで持っているものでごはんをつくって、ずっとテントで生活するんです。限られた中で、軽くておいしくて、自分たちが満たされる食事をどうつくれるか、それを考えるところからこの旅は始まっています。
一緒に行ったロサンゼルス在住のアヤちゃんが、アメリカの野菜をドライにして持ってきてくれたり、自分でもドライフルーツをつくってみたり。そういう準備一つひとつがとても楽しかったです。
彼女とも不思議な縁で、友里ちゃんみたいにふっと連絡があって、ジョン・ミューア、挑戦するなら今年じゃない? っていうから、じゃあ行こうって。その瞬発力が、この旅には必要だったんだなと、いまになって思います。頭で考えてるとなかなか踏み出せないんですよね、きっと。20日間も無理とか、20キロのものを背負って毎日歩けないとか、いろいろ不安になってしまって。あっ、と思ったときに行けた私は幸せだったなって思います。
野村:特に印象に残った思い出深い食事は何? これはうまくいったな、とか。
『野生のベリージャム』より
全卵パウダーとキヌアでつくったオムライス
(写真:武藤彩)
小島:オムライスはとってもおいしかったです。もちろん卵なんて持っていけないので、アメリカで売っている全卵の粉を持って行って、その粉にお水とか豆乳粉を入れて卵液をつくって焼くんです。その下のごはんも、もう旅の後半で、白米がなかったから、キヌアを炊いたものをごはんがわりにして。
野村:火はこのガスバーナー1個のみ?
小島:そう。そのガス缶もそんなに大量に持っていけないから、1本がだいたい何日もつとか、計算しながら使うんです。10日目くらいの場所にミューアランチっていう、トレイルの方が後半の荷物を送っておけるステーションがあるんですけど、そこにアヤちゃんに後半分の食材とガス缶を送っておいてもらって、それをピックアップして残り10日歩くんです。
前半は私が日本から持って行った日本食っぽいものが多かったんですけど、後半はアメリカのホールフーズとかで売っている、普段私が目にしないような食材が多かったです。
野村:本の中に、食材のパッキングリストを全部書いてあるんですけど、そのリストをみると、結構パウダー状になっているものがたくさんあって。こんなにアウトドアフードは進化しているのかと……。
小島:そうですね。でもアウトドア用品屋さんだけだとそういうものは揃わないので、自然食品屋さんとかスーパーとかで、軽くておいしそうなものを探すんです。レトルトや乾燥食材も、いろいろ工夫するのが楽しいし、自然の中だと全然味が違うなぁって思います。
『野生のベリージャム』より
ジョン・ミューア・トレイルは20日の行程をほぼテントで過ごす
(写真:武藤彩)
──どういう環境の中で何を食べるかを大事にするというのは、野村さんの活動とも共通していますね。野村さんは最近、火さえあればどんな環境でも何でもつくっちゃう、というイメージがあります。
野村:つくる方もそうなんですけど、最近思うのは、本当におなかがすいて、渇望してから食べるごはんほどおいしいものはない、っていうことなんです。都会暮らしだと、ごはんは人に会うための手段だったりして、「これが血となり肉となる」っていう食べ方って、普段の生活ではほとんどないですよね。
トレイルだと何キロも歩いて「やっとごはんだ」って、お皿も洗う必要がないくらい一粒も残さず食べるって、聖ちゃんが言ってたけど、満たされるごはんって、そういうものなんじゃないかなと思うんです。
アラスカ、カヤックの旅の食事
──アラスカには2015年ごろから行かれていますね。
小島:はい。アラスカは同じアメリカでも、ジョン・ミューアと違って、長い距離歩ける道がなくて。私たちはほぼカヤックの旅なんです。
本にも書いたんですが、新しいパートナーと出会い、その人がアラスカを旅する写真家だったものですから、行かざるを得なくて(笑)、また新しい自然との関わり方が始まりました。
──これまでネパール、ジョン・ミューアときて、アラスカはまた全然違う食が描かれているなという印象です。
『野生のベリージャム』より
アラスカで群生していたベリーは小粒で濃い
(写真:石塚元太良)
小島:カヤックだと、重さをあまり気にしなくていいので、生の野菜も持っていくことができるんです。トレッキングのときよりぐっと選択肢が広がりますよね。それまでの旅では食材を背負って歩いて、ガスバーナーだけで料理をしてたんですけど、今度はカヤックで、岸に上陸して、薪を探して、集めて、火を起こして料理をするっていう、また自分にとっては新しい料理との時間が始まって。
──本のタイトルになっている「野生のベリージャム」っていうのは、このアラスカの章に出てくるんですよね。
小島:そうです。6、7月に行ったとき、ちょうどベリー類がたわわに実る時期で、もうそのおいしさといったら! カヤックでヘトヘトになって上陸したら目の前にぶわーーーって、サーモンベリーの群生があったんです。夢中で駆け寄って、時間も忘れて気持ちがおさまるまで食べ続けました。アラスカの夏は短いので、芽吹き始めたときの植物の力がとっても強いなという印象があって。サーモンベリーも小さいんですけど、味がすごく濃いんです。
──この章には、さっきのお話のように、おなかが減って食べる食事がいかに大事かというシーンがありますね。
『野生のベリージャム』より
アラスカでは薪でごはんをつくる。
キングサーモンや生野菜もカヤックで運べる。
(写真:石塚元太良)
小島:はい、一杯のラーメンがいかに貴重かという場面が。3日間くらいの日程の食材しか持ってなく、最終的に天候が悪化して、ヘリが迎えに来てくれず帰れなくなったんです。残された食材はこれしかない、でもいつ帰れるようになるかわからない。とりあえず二人で一杯のラーメンだけ食べよう、みたいな。そういう時間もまた楽しいと思う私はちょっと変かもしれない(笑)。
──なかなかついていける人はいないですよね(笑)。
この本の企画が動き始めたのが2016年の終わり頃。そこからおよそ1年と少し、本ができ上がるまでの間に、小島さんはお母さんになりました。人生の新たな「旅」のページが、また日々の「食」とともに広がっていく。そんな未来の豊かさを、小島さんのひざの上のかわいい赤ちゃんの笑顔が照らしてくれていました。
『野生のベリージャム』(小島聖著、青幻舎)。
装丁は、小島さんが敬愛する葛西薫さん。
葛西さんはBSの番組で山に登る小島さんを見ていたのだそう
小島聖(こじま・ひじり)さん
女優。東京都出身。1989年NHK大河ドラマ「春日局」デビュー。1999年映画「あつもの」で第54回毎日映画コンクール女優助演賞。以来数々の舞台、映画、ドラマで活躍。
野村友里(のむら・ゆり)さん
料理人 / 「eatrip」主宰。食にまつわるさまざまなイベント、執筆、メディア出演を行う。2009年には映画『eatrip』を監督。2018年3月、東京の食のガイドブック「Tokyo eatrip,」を出版。