映画監督として、アーティストとして、小説家として多方面で活躍するミランダ・ジュライ。彼女の初めての長編小説『最初の悪い男』が8月に発売されました。
突然始まった、43歳の孤独で妄想の世界に生きる中年女・シェリルと不潔な金髪巨乳の暴力娘・クリーの共同生活。肉体的にも精神的にもぶつかり合う二人の物語は、予想もつかない方向に発展していきます。
そんな、急展開に次ぐ急展開の本書の魅力を、翻訳を手掛けた岸本佐知子さんに伺いました。
文=清藤千秋(SPBS編集部)
インタビュー写真=福田直記
戦争小説よりバイオレンス!な女同士の魂のぶつかり合い
──『最初の悪い男』を初めて読んだときの、率直な感想を教えてください。
『最初の悪い男』ミランダ・ジュライ(2018年、新潮社クレスト・ブックス)
岸本:読みながら、「どうなるの、これ!?」という感じでした。曲がりくねったウォータースライダーに乗っていて、どこに向かっていくのか全然わからない、みたいな。読み終わって、その展開の収束の仕方に胸を打たれて呆然としました。
あるインタビューの中でミランダが、「展開の変化を楽しむために、とにかく一気に読んでほしい」と語っていました。
それから、「前世で付き合っていたカップルが、生まれ変わって再会して、次に生まれ変わってもまた別の世界で出会って……という話に昔から興味があったんだけど、このお話では、それを一度の人生の中で何度もやっていく二人組を描きたかった」とも言っています。
──一番印象に残っているシーンはどこですか?
岸本:一つはなんといってもシェリルとクリーのバトルのシーンです。女同士が、あんなにもストレートに暴力をぶつけ合う様子を描いている本って、なかなかないじゃないですか。
私は、過去にベトナム戦争の小説も翻訳したことがありますが、それを差し置いて、これまでで一番バイオレントな描写だと思いました。
翻訳するときは、頭の中で映像化するようにしているんですけど、そこはものすごく想像が膨らんで楽しかったシーンです。
──「子育て」も、小説の中で非常に重要なテーマになっていましたよね。実際に、ミランダもこの本を書いている途中に妊娠、出産を経験していますが、それが物語にも影響を与えていると思いますか?
岸本:それはわからないですね。たしかに、ミランダは妊娠中に第1稿を書き上げて、出産後に2年くらい時間をかけてこの作品をつくり上げていったようですが、「子どもを産んだから、こういうの書いたんでしょ」と、安易に言ってしまうのもどうかな、と思うので……。とても大きな経験だったでしょうから、影響はきっとあるとは思いますが。
──「子どもを産む」=「母性に目覚める」=「成長」という、わかりやすい描き方はされていませんでしたね。
岸本:その点については、ミランダの映画の字幕を担当されている西山敦子さんが、「母性を蹴っ飛ばした」という表現をされていました。
つまり、「自分が肉体的に子どもを産んだから、母性が芽生える」みたいな言説へのしっぺ返しというか。そういう観点から読んでみるのも、面白いと思います。
現実を生きるとは、「孤独な者同士が一瞬触れ合う」こと
──インタビュー集『あなたを選んでくれるもの』に、「これはおとぎ話でも教訓話でもなく、本当のことなのだ。(中略)一人ひとりの人間を、その人たちの物語バージョンとすり替えてしまわないよう、わたしはつねに自分を見張っていなければならない」という言葉が出てきました。
そういった意味で、シェリルが妄想から抜け出して、リアルな対人関係を通じて実際の人生を見出していくというストーリーは、前作をなぞっているとも言えますよね。
『あなたを選んでくれるもの』ミランダ・ジュライ(2015年、新潮社クレスト・ブックス)
映画の脚本を書かなければいけないのに、ネットサーフィンばかりしてしまう状況を打破するためになにかしなければ……と考えたミランダが、雑誌『ペニーセイバー』で自分の持ち物を売りに出している人物に突撃でアポを取り、インタビューをしにいくというフォトエッセイ。
岸本:そう。『あなたを選んでくれるもの』で、ミランダは一人で物書きの仕事をしながら、ネットの世界にどっぷりはまり込んでしまうんですが、ネットの世界というのは結局、「自分の世界の延長」なんですよね。こういうことを調べたいと思って検索していくわけだから、広がっているようで、実はいつまでたっても自分の脳内を出ていない。
そんなときに、実際に生きている人間に会って、「これが現実なんだ!」と愕然とした。そのショックを、『最初の悪い男』ではもう一度再現しているのかもしれないですね。
──シェリルも、クリーとの生活をきっかけに、大きな変化を強いられますよね。
岸本:シェリルも、もともとは自分の脳内だけで“バーチャルな自分”を生きていましたよね。肉体とも自分の感情とも切り離されていて。彼女は「ヒステリー球」*1に悩んでいますが、あれは、本当は感情があるのに、自分で感じないようにしてしまっているせいで発症しているんですよ。
それに対してはクリーっていうのは「肉体」の権化じゃないですか。金髪で巨乳、そして「足が臭い」という、まさに4D(笑)。
*1 精神的な不安や自律神経の乱れが原因で、喉の奥に異物が入っているかのように感じる症状。
──そういう対比があったんですね!
そんな正反対な二人がぶつかっていくことで物語が展開していきますが、そこには「リアルな体験を通じて成長していこう」というメッセージがあるんですね。
岸本:そうとも言えます。でも、メッセージは一つじゃなくていいと思うんです。どう受け取るかは、それこそ読んだ人の数だけある、そんな多面体のような小説だと感じています。
だから、邦題も少しぎこちなさを感じるくらいの直訳のほうがいいかなと思って、『最初の悪い男』にしました(原題『The First Bad Man』)。意味がすんなり入ってこないほうがいいような気がしたんです。
私は、「これは脳内から出ていく物語だ」と思いましたが、家族との関係を見つめ直す話であったり、愛を見つける話であったり、読む人によって刺さる部分は違うと思います。
──では、どんな人にこの本を薦めたいですか?
岸本:生きている人なら誰にでも薦めたいですね(笑)。
でも、やっぱり、自分は孤独だと思っている人に、ミランダ・ジュライの本を読んでほしいです。孤独は「普通」なんだっていうことがわかる。孤独な者同士が一瞬触れ合うっていうのが、生きているっていうことなんじゃないかな、と私は翻訳していて思いました。
山崎まどかさんが、すごくいい書評を書いてくださったんです。
「この小説の素晴らしさは愛の成就ではなく、その愛によってシェリルが真の孤独を獲得していく過程にある」と。
たしかに、現実と正しくつながって、ちゃんと生きていこうと思うと、当然ながら別れや喪失も手に入るわけで。でも、それが人として本当に生き始めるっていうことなのかな、と思いますね。
<プロフィール>
岸本佐知子(きしもと・さちこ)さん
上智大学文学部英文学科卒。洋酒メーカー宣伝部勤務を経て、翻訳家に。主な訳書にM・ジュライ『いちばんここに似合う人』、L・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』。編訳書に『居心地の悪い部屋』他。著書に『気になる部分』、『ねにもつタイプ』がある。